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芸術って何なのさ!謎な絵と向きあうために。『イメージの前で』

「芸術」の耐え難い胡散臭さについて誰か僕と語り合いませんか。
僕は先日、国立近代美術館でやってるジャクソン・ポロック展に行きましたけど、なんであんなのが芸術なんでしょうかね。かなりショボい作品がけっこうあったように見受けられましたけど。あれらの絵を燃やしてしまったりすると、きっととんでもない金額を弁償しなければならなくなるはずです。何でなんですかね?
 
何でなのでしょうか。それはポロックの絵は「美術史上重要だから」。ポロックの絵は史上最高額で取引される超重要作品なんです。ではその美術史って何なんだ、と。疑問に思うのは当然でしょう。そこで先日邦訳が刊行されたジョルジュ・ディディ=ユベルマンという人のイメージの前で: 美術史の目的への問い (叢書・ウニベルシタス)。難しい本ですが、この「美術史って何なのか」という問いに取り組んだものです。
 

著者のディディ=ユベルマンはフランスの哲学者・美術史家。本書は彼の初期代表作と言われる一冊です。
 
本書は、いわばルネッサンス以降の<「美術史」の歴史>と言えます。著者は、美術の歴史、つまり「美術史」が、どのような学問として確立されてきたのかを問い、そこにどのような欲望や目論見が込められてきたのかを解き明かしていきます。
 
本書については、読売新聞に掲載された岡田温司氏(西洋美術史家・京都大学教授)の簡潔な書評がオンラインで読めます。まずはそちらをご覧ください。岡田氏の書評でもポロックの名前が挙がっています。なお、本書にはポロックの名前は出てきません。(訳者あとがきにも出てくるのですが)
哲学者で文芸・芸術評論家の宇波彰氏の解説もあります。興味のある方はこちらを御覧ください。岡田氏の解説よりももう少し踏み込んだ内容です。
 
さて、美術作品はいつどのように美術作品となるのでしょうか。よく「これはアートだ、と言えばアートになる」と主張する人がいますが、権威のない人間がいくらそう主張しても、一過性のものでしかありません。「歴史に残る美術」になるためには、「美術の歴史」によってその作品が承認されなければならない。というよりも、むしろ「美術の歴史」を実際に書いたり教えたりする人々、つまり「美術史家」が認めなければその作品は忘れ去られてしまうのです。
 
著者は本書の第2章と第3章で、ルネッサンス期にあたる16世紀イタリアのヴァザーリという人物が著した画家・彫刻家・建築家列伝(『芸術家列伝』とも言われます)から、20世紀に活躍した美術史家パノフスキーの理論までを分析。この二人は著者にとって「美術史」の開祖とその改革者という意味で重要な人物です。
美術史の基礎文献として必ず参照されるヴァザーリの『列伝』は、当時の権力者であるメディチ家に捧げられていました。その宮廷的な理想は、現代の美術史において、商業主義的な「需要」を第一とする理想となって受け継がれている、と著者は指摘しています。ルネッサンスの根本思想である人間中心主義=人文主義に基づいて、人間の技術と知性の粋を尽くした「芸術」が権力者の名の元で永遠の栄光を与えられることになります。
また美術史の改革者と呼ばれるパノフスキーの理論にも、人文主義的な思想が受け継がれています。著者によれば、ヴァザーリからパノフスキーへ受け継がれていく美術史は、ルネッサンスの語源でもある「再生」を契機として、何度も「新たな死」を発見することで継続されていく歴史だ、ということになります。
美術史のなかで、何度も「芸術の死」が叫ばれ、その都度、輝かしい「芸術の再生」が訪れることになる。それはキリスト教における人の死の否定であり、人間が永遠の生を得る事で神を殺そうというものであった、とすら著者は主張します。

 
人文主義においては、人間の理性や知性が称揚され、暴力や無意識が否認されてきました。人はそこに見えるものだけを読むことで、実質的には作品そのものを見る事をやめ、知識だけを参照するようになってしまいます。あるいは、そこに見えていないものを読み取って、観念論的に展開させてしまいがち、とも言えるでしょう。
本書のクライマックスとなる第4章で著者は、精神分析学者フロイトの理論を導入して、人文主義的な美術史が否認してきた暴力や無意識を呼び戻そうとします。美術作品としてまだ権威付けられていないものを前にして(つまり「イメージの前で」)、そこに単に見えるものを読むだけではなく、まして見えないものを読むだけでもなく、更に何ができると著者は言うのでしょうか。著者は、その前で、それを見つめることを促します。
 
たとえば、絵筆を使わずに指で描いた絵画をヴァザーリは美術史に連なるべき作品だとは見做しませんでした。しかし著者によれば、ルネサンス期に絵筆なしに描かれたぎこちないある絵画は「人間の手によってつくられていないイメージ」を実現しようとしていたのであり、それは宗教的な意味がありました。
著者ならではの広範な知識を動員したほとんど神秘的なイメージの解釈は、とても鮮やかで読んでいて興奮させられました。本書に掲載されているヴァザーリの時代のフラ・アンジェリコという「美術史に無視されてきた画家」の、まるで「現代美術」のような図版は確かにポロックの作品を思い起こさせます。
ポロックの作品、ショボいのもたくさんあった、と冒頭に書きましたが、思わず唸ってしまうような傑作もありました。その作品には、簡単に読み解けるような図像は描かれていません。というか、図像的なものがまっったく描かれていませんでした。こういう作品を評価するためには、ディディ=ユベルマンのような理論が必要なのかもしれません。
 
ところで、椹木野衣氏の記念碑的著作日本・現代・美術は、日本は美術史が継承されない「悪い場所」だ、と主張した本でした。日本には、フランスにおけるキリスト教のような体系化された宗教がなく、ルネッサンスのような人間主義もありません。そのような場所で、美術はどのように見る事が出来るのでしょうか。
椹木野衣氏の初単行本シミュレーショニズムの刊行は1991年。本書が本国フランスで刊行されたのは1990年。そして、パノフスキーが亡命した先の国アメリカの現代美術批評の最前線にいたロザリンド・クラウスらが企画したアンフォルムは1996年。日米仏の美術論のこの同時代性はとても興味深いと思います。

 
最後に。巻末の訳者あとがきに、本書の端的な要約があります。著者の語り口は慎重を期すぎたのか、単に推敲が足らないのか、まどろっこしすぎて読みづらい事この上ないのですが、訳者あとがきを読みながら本文に目を通すととても読みやすい。訳者の江澤健一郎氏に感謝です。
 
 
目次
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提起される問い
われわれが芸術的イメージへ眼差しを向けるとき
確信的な調子に対する問い
カント的調子、いくつかの魔術的な言葉、知の規定に対する問い
形象可能性という非常に古い要請
 
第一章 単なる実践の限界内における美術史
白い壁の面に向けられた眼差し 見えるもの、読めるもの、見えないもの、視覚的なもの、潜在的なもの
視覚的なものの要請、あるいはいかにして受肉は模倣を「開く」のか
そこでこの学問は非-知を警戒するように理論を警戒する。特殊性という錯覚、正確さという錯覚、そして「歴史家の一撃」
そこで過去が過去を隠蔽する。不可欠な発見と思考不可能な喪失。そこで歴史と芸術が美術史を妨げにくる
第一の陳腐さ 芸術は終焉した……美術史が存在し始めてから。形而上学的罠と実証主義的罠
第二の陳腐さ すべてが見える……芸術が死んでから
 
第二章 再生としての芸術 そして理想的人間の不死性
そこで芸術は自らの灰から再生するものとして発明された、そこで美術史は芸術とともに自らを発明した
ヴァザーリの『列伝』における四つの正当化 大公への服従、芸術の社会体、起源への訴えと目的への訴え
そこでヴァザーリは芸術家を忘却から救い、永遠の名声において「名声を与える」。理想的人間の不死性に捧げられた第二の宗教としての美術史
形而上学的目的と宮廷的目的。そこで亀裂は理想と現実主義において縫合される 魔術的なメモ帳の操作
三つの最初の魔術的言葉 再生、模倣、イデア
第四の魔術的言葉 素描。そこで芸術は統一された対象、高貴な実践、知的認識として正当化される。フェデリコ・ツッカリの形而上学。そこで美術史は自分自身のイメージに似せて芸術を創造する
 
第三章 単なる理性の限界内における美術史
ヴァザーリがわれわれに伝えた目的。単なる理性、あるいはいかにして言説はその対象を発明するのか。
ヴァザーリ的定立の変貌、反定立の契機の出現 美術史が採用したカント的調子
そこでエルヴィン・パノフスキーは反定立と批判の契機を展開する。いかにして見えるものは意味を持つのか。解釈の暴力
反定立から総合へ。カント的目的、形而上学的目的。魔術的操作としての総合
第一の魔術的言葉 人文主義。そこで知の対象は知の形式となる。カント的ヴァザーリと人文主義的カント。意識の力と理想的人間への回帰
第二の魔術的言葉 イコノロジー。チェーザレ・リーパへの回帰。見えるもの、読めるもの、見えないもの。超越論的総合としてのイコノロジー的内容という概念。パノフスキーの後退
さらに遠くへ、あまりにも遠くへ 観念論的強制。第三の魔術的言葉 象徴形式。そこで感性的記号は知性的なものによって消化される。機能の適切さ、「機能の統一性」という観念論
イメージから概念へ、そして概念からイメージへ。第四の魔術的言葉 図式論。表象における総合の最終的統一性。モノグラム化された「純粋な」イメージ。論理学と形而上学を強制された芸術の科学
 
第四章 裂け目としてのイメージ そして受肉した神の死
美術史の図式論と絶縁する第一の接近方法 裂け目。イメージを開くこと、論理を開くこと
そこで夢の作用は表象の箱を打ち砕く。作用は機能ではない。否定的なものの力。そこで類似は作用し、働き、転倒し、非類似化する。そこで形象化することは脱形象化することと等しくなる
夢の範例の拡張と限界。見ることと見つめること。そこで夢と徴候は知の主体を脱中心化する
美術史における観念論と絶縁する第二の接近方法 徴候。メタ心理学者パノフスキー?問題提起から徴候の否認へ。パノフスキー的無意識は存在しない
多元決定というフロイト的範例と対峙する演繹というパノフスキー的モデル。メランコリーの例。象徴と徴候、構築された部分、呪われた部分
美術史における図像主義と絶縁して、模倣の専制と絶縁する第三の接近方法 受肉。肉と身体。二重の経済構造 模倣の織物と「留めボタン」。キリスト教における原型的イメージと受肉の指標
徴候的強度の歴史のために。いくつかの例。非類似と塗油。そこで形象化することは形象を変貌させることと等しくなり、脱形象化することと等しくなる
美術史における人文主義と絶縁する第四の接近方法 死。ドラマとしての類似。ヴァザーリと対峙する引き裂かれた主体。美術史とは錯綜の歴史である
生の類似、死の類似。キリスト教における死の経済構造 狡知と危険。そこで死はイメージにおいて存続する。そしてわれわれはイメージの前で?
 
補遺 細部という問題、面という問題
細部という難問
描くこと、あるいは描写すること
事故 物質の輝き
徴候 意味の鉱脈
細部原則の彼岸
 
〈付録>内容紹介文
 
訳者あとがき
図版目録
人名索引
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【関連ページ】

香川壇「痕跡とレトリック 現代美術による歴史的過去の想起」

『イメージの前で』で重要なキーワードとなる精神分析用語「徴候」について、ディディ=ユベルマンも参照していた歴史家ギンズブルグの論考「徴候 推論的パラダイムの根源」と1960年代以降の現代美術作家ボルタンスキーを読み解くもの。
 
【関連記事】

『言説、形象(ディスクール、フィギュール)』法政大学出版局

昨年、とうとう邦訳されたリオタールの主著。
『イメージの前で』と同様、フロイトの「夢作業」「夢作用」に依拠し、ヴァザーリやパノフスキーを批判したもの。
 
 
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【本が好き!編集部ナガタのプロフィール】
当「BOOKニュース」を担当している’79年生まれ男性。
アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は板橋区在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職・結婚・離婚など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。
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コメント

  1. こんにちは。本が好き!でお世話になっているみどりのほしと申します。

    わたしも先日ボロック展を見にいったのですが、全くわからずに
    何となくカッコ良いのかなくらいしか知り得ませんでした。
    帰宅の途につく途中、書店によりポロックに関する本を探したのですが
    これというものが見つからず今日まできてしまいました。
    編集部ナガタさまのこの本の紹介がなかったら、
    このまま忘却のかなたに…のところでした。
    ポロックの謎にせまることができそうです。
    ありがとうございます。

    いつも楽しく拝見させて頂いてます。
    選書のセンスの良さとキレ味があり、本に対する愛情のある書評が
    毎回楽しみです。
    これからも宜しくお願いいたします。

  2. みどりのほしさん

    コメントありがとうございます!ナガタです。
    ポロックの本、少ないんですよね…。今回の展覧会に合わせて「芸術新潮」のポロック特集が出ていました。そっちはかなりわかりやすい内容だったので、機会があればぜひ!

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