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画家にして美術界のアウトサイダー、巨匠デュビュッフェの生涯を追う

今回取り上げるのは、評伝ジャン・デュビュッフェ アール・ブリュットの探求者(青土社)。
20世紀フランスを代表する画家のひとりでありながら、日本ではまだ知名度の低いデュビュッフェ。
その一生を、読みやすく飄々とした語り口で綴った1冊です。
 
デュビュッフェは、「アウトサイダー・アート」と日本では呼ばれることの多い「正統な美術教育を受けていない人による美術的な表現」の評価に力を入れた人物でもあります。アウトサイダー・アートは、精神科医で評論家でもある斎藤環が講演のテーマにするなど、一定の評価を得てきています。デュビュッフェは自らも画家であり、その活動と並行しながら、「アール・ブリュット」(フランス語で「未加工の芸術」という意味)と呼んで、アウトサイダー・アートの紹介に精力的に取り組みました。
 
デュビュッフェは「アール・ブリュットの魅力」を紹介しようと努めましたが、このことは「アール・ブリュットとは何か」という定義の問題に繋がります。デュビュッフェの登場以前は、美術とはちゃんとした美術教育を受けた人間によって職人的に創造され、それを読み解くことのできるのは上等な趣味を持つ人たちだけ、というのが常識であり良識でした。デュビュッフェはその常識と良識に挑んだのです。
またアール・ブリュットという考え方は「美術において何が正統な教育で、何が正統ではないのか」という問題も呼び起こします。そしてそれは、「日本語だけで行う美術教育は、西洋中心の美術の世界で正統性を持ちうるのか」、「そもそも本当にいまの美術の世界は西洋中心なのか」といった問いにも繋がる、とても興味深い話題なのです。
 

 
デュビュッフェの作品を見たことがない人や、すぐに思い出せない人はこちらをどうぞ。「1974-1985」と書いてあるところをクリックすると、晩年のかなり個性的な作品を見ることができます。
 
デュビュッフェの評伝は、彼の出生の紹介から始まります。デュビュッフェは、フランス北西部にある大西洋に臨む港湾都市ル・アーヴルにあるワインの卸商の家庭に生まれ、そこそこ裕福な幼少期を過ごします。裕福な家族のバックアップもあって、少年期にはパリの美術学校に通い、当時の最先端の美術運動だったダダの情報にも触れました。パリを中心に興隆したシュルレアリスム運動の代表的な画家マッソンや、ピカソとともにキュビスムを先導した画家ブラックの影響を受け、当時の最先端にいた綺羅星のような才能のなかにあって、デュビュッフェはしかし自らの個性を売り出すことが出来ませんでした。
 
そうこうしているうちに、30歳前のデュビュッフェは実家に戻り、家業に参加します。家族たちとうまくいかなかったデュビュッフェは、実家から離れたパリで自ら高級ワインの卸業者を立ち上げることになり、そのまま離婚・再婚を経て、第二次大戦を迎えます。ナチスドイツの占領下のパリで、巧妙に商売をやりくりしたデュビュッフェは、自分の会社を戦時下でもそれなりの軌道に載せることに成功しました。会社の運営を信頼出来る部下に任せて、デュビュッフェは再び美術の道を歩み出します。
 
デュビュッフェは再出発にあたって、飽くまでアマチュア美術家として活動したかったようです。再出発に際してデュビュッフェは、職人的な技量ではなく、無造作で気楽であることを目指しました。この頃の作品は、上掲のリンク先の「1943-1950」で見ることが出来ます。確かに一見したところ高度な職人的な技術は使われていません。幼稚園児の落書きのようにも見えます。
 
後援してくれる画商もつき、順風満帆に思えたデュビュッフェの再出発。詩人や文学者からの支持はある程度得られたものの、一見「ただのラクガキ」にしか見えない彼の作品は、大きな反発を引き起こします。展覧会の来場者や、新聞の批評に並んだ侮蔑や罵倒の言葉の数々を本書で読むことができます。この時期のデュビュッフェは、詩人のアントナン・アルトーを、幽閉されていた精神病院からパリに奪還したり、アフリカのサハラ砂漠に旅行して、その地域の人たちの文化に衝撃を受けたりしていました。画家アンリ・マティスの息子で、アメリカで画商を営むピエール・マティスともこの時期から親交を深めています。ピエール・マティスが扱った美術作品は、のちのアメリカ人美術家ジャクソン・ポロックにも影響を与えたという点で注目に値します。
 
その後、デュビュッフェは精神障害者の表現についての研究が盛んだったスイスを旅行し、のちにアール・ブリュットやアウトサイダー・アートと呼ばれる作品を多く見て周りました。「アール・ブリュット」という言葉は、この時期に生まれたものだと言われています。『評伝ジャン・デュビュッフェ』の著者は、この言葉が生まれる際に、アルトーの『魔術と映画』に使われた「シネマ・ブリュット(未加工の映画)」という言葉が手掛かりになっただろうと指摘しています。
 
デュビュッフェは、ブルトンや批評家のミシェル・タピエ、文学者でのちにフランス文科相にもなるアンドレ・マルローらと「アール・ブリュット協会」を設立しました。しかしこの協会も設立直後、デュビュッフェとブルトンのあいだで「狂人の芸術」という表現を巡って対立が生じることになります。ブルトンがデュビュッフェの意見を支持して書いた「狂人の芸術」という表現に対して、デュビュッフェが「精神の病気はきわめて多様であり、そのすべてをおなじ”狂気”と呼ぶことはできない。狂人の美術など無い」と断言したことが発端です。これをきっかけに、デュビュッフェはシュルレアリスムと距離をとるようになりました。
 
このように本書は、デュビュッフェの足跡を追っていくもの。全体を読んでみると、「若者として華々しい美術運動に参加することができず、中年になってから再出発することになった」というデュビュッフェの立ち位置は、彼の人物と作品について考える際に重要な要素だということがわかります。
彼の作品のもつ奇妙に皮肉めいた雰囲気や、分類困難な作風は、彼を素朴に一定の運動に回収させることを難しくさせます。
デュビュッフェが参加した運動といえば、みずから提唱したアール・ブリュットということになるでしょう。アール・ブリュットは冒頭に書いたとおり「美術教育を受けていない者による美術」のことであり、ヨーロッパで教育を受けたデュビュッフェは厳密に定義しようとすると、自身をそこに含められない筈なのですが、デュビュッフェがアール・ブリュットに見出した価値を、自分でも作り出すことこそ、デュビュッフェが目指したものだったといえると思います。

 
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【本が好き!編集部ナガタのプロフィール】
当「BOOKニュース」を担当している’79年生まれ男性。
アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は板橋区在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職・結婚・離婚など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。
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