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『ねじまき少女』が踏み込んだ、今そこにある遺伝子の悪夢

今回の記事を執筆してくれたのは、「食」をテーマにナチズム研究をしている藤原辰史さん(東京大学農学部講師)。
 
ナチスや大日本帝国にはバイオSFのような側面があったというお話を以前伺ったので、バチガルピねじまき少女についてのコラムをお願いしました。
 
これからの政治支配は「遺伝子工学を軸になされる」と予想している藤原さんにとって、『ねじまき少女』に描かれた不気味な世界のおぞましさとは何なのでしょうか。
 

  


コピー・アンド・ペーストとベンヤミン『複製技術時代の芸術』
 ヴァルター・ベンヤミンの複製技術時代の芸術が発表されたのは、ヒトラーが政権を獲得してから三年目の一九三五年のことである。映画、ラジオ、写真、蓄音機といった技術が大衆生活の風景に馴染んできたころだ。これら「複製技術」を扱ったベンヤミンの論文じたいが、印刷機によって大量に複製され、多くの読者に読まれてきた。80年も前の論文をいまさら取り上げるのは、いまなお複製技術が王として君臨するこの時代について考えてみたいからである。

 
 十数年前、山陰地方で道路や堤防の設計の仕事をしているという知人に、私はどんな仕事なのか尋ねてみたことがある。うん、いまはコピペが多いね。パターンはだいたい一緒だから、微調整で済むよという答えだった。小学一年生の文集で将来の夢を「せっけいし」と書いていた私はちょっと失望した。知人は言う。昔の工事で使用した設計図からコピー・アンド・ペーストを繰り返す。地方の駅前のみならず、圃場整備や河川改修のあとの農村が、どこも似たような風景になる理由がひとつ分かったような気がした。
 ただ、このときショックだったのは、設計という仕事に対する私の淡い恋心が冷めたからだけではない。自分自身がコピー・アンド・ペーストに頼りっきりだからである。私は、大学の卒業論文をワープロで執筆した最初期の世代である。このとき、一度書いたものを保存しておいて、あとで別の文章にくっつける便利さと、そして思いもかけない構成が生まれる偶然性には、感謝したものだ。ちなみに、いまはこの複製技術が学期末のレポートを採点する私の悩みの種であることは、ここでは論じないでおこう。
 とにかく、私たちは、複製技術時代の爛熟期を生きている。どこへいってもコピーに囲まれ、均一で平坦な空間を、雑誌のモデルと同じメイクをして、同じ柄のバッグを片手に、気持ちよく歩いている。こんなコピー人間たちの王国の王こそ、複製技術にほかならない。
  
工場みたいでかっこいい! 
 だが、複製技術時代の爛熟期、と言ったのは、私たちの日常の生活がコピーであふれているからだけではない。遺伝子工学の発展、つまり、遺伝子コードのカット・アンド・ペーストの技術が飛躍的に上昇したからである。その背景には、第二次世界大戦以後、遺伝のメカニズムの詳細が明らかになったことがまず挙げられよう。そういえば、高校の生物で習った遺伝の授業は、少なくとも私には驚きの連続であった。DNAの塩基配列をメッセンジャーRNAが転写し、それがリボゾームというタンパク質合成工場に運ばれ解読されると、タンパク質が合成される、という話を生物の先生から聞いたときだ。このとき感じた初発の感想はこうだったと記憶している。工場みたいでかっこいい! 
 
 現在の生命観が遺伝子工学に依存しすぎであるのは、おそらく、こういった田舎の高校生が素朴に感じる俗情とも関係しているだろう。もちろん、現在ではこのような物理的な生命観に対し、遺伝学内外で批判も出てきているというが、とはいえ、遺伝子を切り貼りする高揚感は世界中の人々をいまなお酔わせ続けている。ちょうど原子力工学に巨額の研究費を投じ続けてきたことがエネルギーに関するアイディアを萎えさせたように、あるいは、金融工学が経済の世界をカジノに変えたように、遺伝子工学への熱狂は生命の見方をとても貧相かつ陳腐なものにしているように思えてならない。
 こういう意味でも、私たちは、複製技術時代の爛熟期を生きているのだ。
 
腐り始めた時代 『ねじまき少女』
 しかし、熟した果実はやがて腐る。
 パオロ・バチガルピの長編小説『ねじまき少女』は、複製技術時代の爛熟期のあと、それが腐り始めた時代を克明に描いている。
 石油が枯渇し、地球温暖化の影響で海水面が上昇した近未来。タイ王国が舞台である。堤防に囲まれたこの国のエネルギーの中心は、高性能ゼンマイだ。このゼンマイは、とくにメゴドントという象のような動物によって巻かれている。この動物は遺伝子組み換えによって、飼料から摂取したエネルギーを効率的に運動の力に換えることができる。
 
 このゼンマイの力で発電がなされ、船が走り、工場が稼働する。このメゴドントの飼料を独占しているのが、カロリー企業。世界の遺伝資源を支配するアメリカの大規模アグリビジネスだ。つまり、アグリビジネスがエネルギーと食料を両方支配しているのである。現在の多国籍種子企業は、農民に自家採種させないように不稔性の種子を開発し、毎年企業から購入させるようにしているが、カロリー企業もその方法で莫大な利潤を得て巨大化したものなのだ。
 だが、これらの会社が、あまりにも多くの遺伝子組み換え作物を開発しつづけたために、植物および人間に感染する伝染病が蔓延し、世界各地で飢饉が発生して、多くの人々が死んでいったのだった。そんななか、タイ王国は独自の種子バンクを保持し、欧米諸国のカロリー企業の侵入をかろうじて防いできた。カロリー企業と手を結ぶ通産省と、種子バンクを死守する環境省のせめぎ合いのなかで、内戦によってカロリー企業がタイを開国した直後、環境省の暴力装置である白シャツ隊が堤防を破壊し首都を水没させ、種子バンクを持って北部に逃げることで、タイはかろうじてその独立を保つ、これが『ねじまき少女』のクライマックスである。
 
 つまり、この腐乱した世界を生き抜くには、遺伝子操作能力こそが命綱なのである。伝染病の病原菌の変異よりも早いペースで遺伝子操作を行なわないかぎり、間に合わない。そこで遺伝子リッパーと呼ばれる遺伝子操作の達人をどれだけ囲い込むかが喫緊の課題となる。本書の鍵となるギブソンという老人もそのひとりだ。かつてはカロリー企業側についていた彼は、はっきりとした理由もなく、タイ王国側に寝返り、この時代の欧米にはない、かつて絶滅した植物をつぎつぎに開発していく。「わたしたちは世界にとっての神々だ」と言って憚らない男だ。そればかりではない。彼はかつて、「ねじまき」と呼ばれる新人類の「製作」にも関わっていた。遺伝子操作によって、人間に従順な新人類を作ったのである。新人類は、新種の病原菌に感染する恐れもない。日本産の「ねじまき」であるエミコもそのひとり。性奴隷兼秘書として製作され、教育された彼女にとって、他人に服従し奉仕することは絶対である。ラブラドールのような従順な動物の遺伝子をコピー・アンド・ペーストすることで、遺伝子の職人たちは、生きるダッチワイフを作ったのである。ねじまきは、通常の人間にはない高度な運動能力をもち、戦争では兵士として使用された。ただ、ギブソンはこう言う。エミコには妊娠能力がない、と。ねじまきもまた「不稔性」であり、一世代かぎりなのだ。落胆したエミコに、髪の毛一本あれば、妊娠できる新人類を作ることができると言ってみせるギブソンは、とにかく、どこまでも不気味である。
 
バチガルピの世界はそんなに遠くない
 複製技術時代が極限にまで達した世界を、バチガルピは現在形の文章で重ね塗りしていく。暗くて、臭くて、熱くて、苦しい。おまけに致死率の高い病原菌が蔓延している。そんな世界をテンポ良く描くものだから、読後の寝つきも当然ながら悪くなる。現在の製薬会社と種子会社を足して十倍にしたようなカロリー企業に人間の急所を握られた世界が、これほど気味の悪いものであるとは、21世紀の政治支配が遺伝子を軸になされるであろうと予想している私にも想像できなかった。
 
 そして、バチガルピの描いた世界が、私たちの生きる複製技術時代と陸続きであることはいくら否定しても否定しきれないだろう。細胞と細胞、生物と生物、生物と土、生物と気象、生物と水、生物と地形の芳醇な関係性を捨象し、生物内の遺伝情報の解読に研究者の貴重な人生を投じつづける会社や研究所は、そして、その開発に人類の未来を託す私たちは、単一な遺伝子に満たされた畑を感染症や害虫が食い尽くすまで、自分たちが失った生命観がどれほど頼りないものだったのか気づかないだろう。いや、もうすでに、鳥インフルエンザの蔓延の原因のひとつが鶏の品種改良とその飼育方法にあることは自明である(ポール・ロバーツ食の終焉やラジ・パテル肥満と飢餓をみよ)。品種改良によって、筋肉だけを発達させ、免疫が弱くなった鶏たちを大型の鶏舎に詰め込んでいれば、病原菌の発生率はそれだけ高くなる。病原菌の媒体者としての渡り鳥をいくら追っていても解決にはならない。どのように食品が作られているのかという、もっと根本的な問題に目を向けなければ、『ねじまき少女』の世界はもうすぐ私たちの世界になるだろう。

  

 
 たしかに、これまでの原子力発電所の事故がそうであったように、権力者が隠蔽している危険性を政治に反映させることは難しい。しかし、日本各地に作付されているコシヒカリがすべて同じ遺伝子であること、しかも、ササニシキにせよ、ひとめぼれにせよ、コシヒカリの親戚も多いこと。それゆえ新種の病原菌が出現したときに大打撃を受けかねないこと、すると食糧危機になること、と想像力を少しだけふくらませてみても、日本でも、バチガルピの世界はそんなに遠くないように思えるる。
 
あなた自身は、いったい誰のものなのか
 ところで、ベンヤミンは先の論文で、複製技術は芸術を儀式や宗教から解放する、と言った。まさに儀式化した耽美主義と政治が結びついたかたち、つまり、「芸術としての戦争」に大衆を陶酔させるファシズムを念頭に置いている。これに対抗するためのコミュニズムの武器として、彼が複製技術に期待をかけていたことは間違いない。
 
ここで重要なのは、あまり強調されないが、ベンヤミンが「所有」関係の改変を目指すコミュニズムと、「所有」関係の温存を図るファシズムを腑分けしつつ、この論を展開していることだ。「私有財産制」が前提とされるかぎり、複製技術は、お客様という神様に奉仕する利潤生産機械に成り下がるが、私有が廃止されてはじめて美は民衆のものになる、とベンヤミンは述べている。コシヒカリもエミコも、お客様の食欲と性欲と支配欲に奉仕するために作られてきたのである。
 
 すでに何度も指摘されているように、ファシズムは映画や写真などの複製技術をふんだんに利用し、大衆を組織化することに成功した。それだけではない。最先端の育種技術に基づき、植物や家畜のみならず、ドイツの住民のなかに、金髪・碧眼の「アーリア人種」的な遺伝子を増殖させようと試みたのである。ナチスは、劣った遺伝子を持つと決めつけた人間を安楽死させ、「アーリア人種」の遺伝的な「純系固定」を夢見た。少なくともドイツでは、複製技術を政治に組み込むことができたのはコミュニズムではなく、私有制を温存したファシズムだったのである。
 
 『ねじまき少女』で描かれる、腐乱した複製技術時代のタイでも、仏教は遺伝子工学的世界観と緊張関係にはあるが、対抗軸になりえていない。むしろ、それらは、相互補完関係にあるかのように描かれてさえいる。バチガルピの思考実験では、ベンヤミンの予言は外れている。複製技術は、生命から宗教性を切り離すことができていない。
 
 いま、神のみぞ知る生命の奥義は、遺伝子工学によって翻訳されているようにみえる。しかし、実際、翻訳されているのはそのごく一部にすぎない。遺伝子工学は、「知」の所有権を主張し、遺伝子技術を商品化することに奉仕しているのにすぎないからである。バチガルピの小説に登場し、現在すでに普及している不稔性の種子も、その商品化の最大の目玉である。すでに述べたように、自己増殖できないから、毎年、種子企業から農民は種子を購入しなくてはいけない。つまり、私たちは種子企業によって単なるお客様としてみられているにすぎないのである。
 
 長編小説『ねじまき少女』が(その先駆である短編小説「カロリーマン」も)、私の夜を悪夢で満たしたのは、単に、足踏みパソコンやゼンマイスクーターなどの小道具が精巧だからではない。あるいは、アンダースン、エミコ、白シャツ隊の隊長であるジェイディーとその部下カニヤ、マレーシアから逃げてきた中国系難民でアンダースンに仕えるホク・センといった作中人物が、それぞれの欲望を押し隠しながら繰り広げるやりとりが無意識に沈殿する暗い欲望を刺激したから、というのも決定的な理由ではない。
 
 なによりも、「生命の所有」の問題にバチガルピが踏み込んでいるからである。卵子、精子、花粉、種子、そしてあなた自身は、いったい誰のものなのか、という問いを読者は反芻せざるをえなくなるのである。だからこそ、生命の所有化の矛盾を一身に抱えたエミコが、アグリビジネスの権化のようなアンダースンを虜にしていくのみならず、自分を自分の所有物にして行く過程は、爽快感さえ感じさせる。
 
 人類の歴史は、土地、労働力、貨幣という天然の複製能力を持つモノをつぎつぎに私有財産化し、商品化してきた歴史である。そしてつぎのターゲット、遺伝資源も私有財産化の真っ最中である。
 
 以上のような理由が、私に遺伝子組み換え作物を食べることを躊躇させるのである。とはいっても、大企業を愛する「遺伝子」を組み込まれた日本政府が、遺伝子組み換えの菜種油を用いた植物油とか、遺伝子組み換えトウモロコシを使用したブドウ糖果糖液糖とか、さまざまな食品に遺伝子組み換え作物を使用する企業を規制できていない。だから、きちんと食品にも記されていない。もう私たちはたっぷり頂いている。遅い。遅いかもしれないけれども、食べたくないのだ。それは、その食品が健康に害悪をもたらすか否か、というよりもむしろ、食べものを作るという美しい行為を宣伝する背後に、生命の世界を嘗めてかかっている様子が透けて見えて、わが胃袋が受けつけないからである。
 
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【藤原辰史プロフィール】
 1976年、北海道生まれ。島根県で育つ。
東京大学農学生命科学研究科講師。専門は農業史、ドイツ近現代史。
主な著作は、ナチスのキッチン(水声社、2012)、稲の大東亜共栄圏(吉川弘文館、2012)、新装版 ナチス・ドイツの有機農業(柏書房、2012)、カブラの冬(人文書院、2011)。
好きな食べものは、長ネギとジャコを入れた、納豆菌がしっかり繁殖している納豆、大根おろしと刻み海苔を乗せてポン酢をかけたサクサクとんかつ、豆腐の存在感が肉に負けていない麻婆豆腐、マイタケの天ぷらのついた天ざる、もち米のつぶつぶ感がしっかり残っているおはぎ。
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コメント

  1. 感嘆のため息。このコラム、今後も繰り返し読みそうです。

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