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そして今日も、少年少女はマンガの中で殺しあう。それは何故なのか。

当「本が好き! BOOKニュース」は、よりヤバい本を紹介していくため現在リニューアル中です。このプロジェクトの一環として、今回からナガタが一方的に心酔する執筆者の皆さんに寄稿していただくことになりました。
 
第一弾は、フリーライターとして活躍している「たまごまご」さん。
「殺しあう少年少女」をテーマに、様々な作品を取り上げていただきました。
思春期の苦悩、暴力のエロティシズム、逆説的な生命の賛歌といった、扱いにくいテーマに正面から向き合った興味深い内容です。個人的には『ストロボ』と『シンシア・ザ・ミッション』が挙げられているのが嬉しい。なお、たまごまごさんには、今後も原稿をお願いする予定なので、ファンの人は今後もBOOKニュースをチェックしてね!
 

 
月ノ輪航介のストロボは、残虐な死が題材なのに、美しくて透明感あふれる不思議な作品です。
出てくるのは中高生の少年少女。学生服を着た彼ら・彼女らはごく普通の思春期の子供です。
集められた少年少女はこう言われます。「人生、ご卒業おめでとうございます」。
「卒業式」に列席しているのは全員何らかの原因で死んだ若者のみ。あるものは事故、あるものは病気、あるものは、自殺。
彼らが集められたのは、生と死の狭間にある場所。少年少女は、親より先に死んでしまった親不孝者として、その「不徳を贖うため」に最後の一人になるまで殺し合い、生き残った一人が特別に生き返ることができる、というルールが与えられます。
 
ようするにバトル・ロワイアルあるいはハンガー・ゲームのように、少年少女が殺しあうゲームを描いた作品です。
当然ながら、人の死は軽々しく扱える題材ではありません。
マンガの絵で死を見ることは、少なからずショッキングな事です。
しかし作家はそれを知った上で殺し合いを描きます。奇をてらうだけではない、殺しあうという極限の状態をテーマにすることで描きたいものが作家にあり、読者もそこに手を伸ばすのです。
 
少年や少女が誰かを「殺す」マンガは、何も近年だけのものではありません。昔から己の人生をかける物語は山ほどあります。魁!!男塾の男達は信念のもとにかつて、そして今も「漫画ゴラク」誌上で命をかけて戦いを続けています。覚悟のススメの少年少女達も命を賭して戦い、今は続編エクゾスカル 零において、己の正義の為に戦っています。
これらのマンガと、現在の少年少女が殺しあう物語との間には、いくつか違いがあります。
ひとつは、殺傷行為が思春期の揺れ動く感情の象徴になっているということ。
次に、死がとてつもなく軽く描かれることで、逆に読後にぼんやりとした重みを感じること。
そして、儚さを持ったキャラクター達の死の描写が強い衝撃を与えるとき、読者の中に生まれた感情がカタルシスとして昇華されることがある、ということ。

 
・殺し合いが描く、思春期の苦悩と喪失
最初にあげた『ストロボ』は、思春期の感情の動きを非常にうまく、殺し合いによって昇華しています。
『ストロボ』の登場人物たちは、自分の死因を凶器として用いることができます。火事にまかれて死んだ少女は、視界に入るもの全てを焼きつくす炎を用います。首をくくって死んだ少女は無数のロープを操り捕縛する能力を使えます。
他にも、なんでも切り裂く刃を無数にくりだしたり、無数の銃を召喚したり、烈風を吹き荒らしたり。
しかし彼女らがそれらの技を繰り出す時、自分の死因を思い出さねばいけない、というのがこの作品最大の残酷なポイントです。
彼らの中には、死んだ記憶をなくしてしまっていて、自分の能力を発動できない人間も多数いますが、能力を発動できる人間はみな、最も思い出したくない記憶と向き合い、しかも発動するたびに確認しなければいけない。
それが彼らの心を蝕みます。
 
この作品は特に、若くして死んだ少年少女の「死にたくなかった!」という強烈な叫びや「なぜ私は自殺したのだろう」という苦しみを、死んだもの同士で分かち合う部分に重点が置かれています。
ヒロインの少女達、一度死んでしまった彼女たちは、寄り添い合うことで死因と向き合います。『ストロボ』で描かれるのは、彼女たちが思春期に感じた苦悩であり、あるいは正義だと思ったことであり、死にたくなかったというあがきです。
集められたのが少年少女だけという部分も、この不安定な心の描写を見ると不思議と納得させられてしまう巧みさのひとつです。まるで、思春期の自分達を葬るような物語構造になっています。
 
 

少年期・少女期は、失われてしまいます。思春期が終わるには、喪失するか、通過して乗り越えるか、それしかありません。
この主題について、死を絡めて描いた作品は数多くあります。
最近とうとう完結した相田裕のGUNSLINGER GIRLは、わけありで引き取られた少女達が、洗脳を施されて殺人機械になるマンガ。彼女たちが銃器を手にして、屈強な男たちをばったばったとなぎ倒していくシーンは、悲しくも爽快です。彼女たちが軽快に戦うシーンは、単純にかっこいい。
彼女たちがいずれ死んで、壊れてしまうのも、彼女たちの性格が上書きされたものであって本物ではないことも、怪我をしては取り替えられて戦い続けるという描写も、なんてひどいんだろう、なんてかわいそうなんだろう、と素直に感想が出てきます。
ここに関しては、あえて少女である設定にしたことで生まれた、良い意味でのあざとさが功を奏しています。少女だから「かわいそう」「かっこいい」が加速しているのは決して否めません。
セクシャルなものを感じる人もいるでしょうし、ある人はその残虐さに目を背ける。それだけ人の心を揺さぶるものが、「幼さ」と「戦い」というテーマには内在しています。
『GUNSLINGER GIRL』は物語が非常に入り組んでいるため、一概に「少女だから」云々といった話だけで語り尽くすことはできません。しかしあえて少女にしている意義はあります。
全員わけありの少女達が戦場の最前線に立つことを、ともに戦う「フラテッロ」と呼ばれる大人の男性は複雑な目で見ています。ある男は、自ら偽善だといいながらも彼女たちを守りますし、ある男は、機械のように心を捨てて彼女たちを扱う。彼らの感じるジレンマは、読者にそのまま跳ね返ってきます。
 
例えばヒルシャーという名のフラテッロの男性に心から気遣われながら、体をズタボロにして戦う少女トリエラ。彼女とヒルシャーの姿は、まるで擬似恋愛。もちろんお互いそうじゃないとわかってはいても、読者にはそう見えてしまうのです。
『GUNSLINGER GIRL』の物語は壮大で、どんなに攻撃的で残虐な戦いが描かれていても、ヒルシャーとトリエラが互いを思いつづけることで、そこに美しい世界があり続ける。そこで世界が完成してしまうんです。読者は、感動するかもしれない。あるいは、吐き気がするかもしれない。
彼女たちが戦う必要がなく平和に暮らせたらよかったのに、と願いつつも、それは戦ってボロボロになった彼女たちを見ているからこそ言えること。戦う彼女たちは、やはり美しく、それが見たいと望む読者を惹きつけるだけの魅力は確実にあるのです。
 
 

・暗殺少女のエロティシズム

殺人を生業とした人間、暗殺者を描いたマンガとしてあずみは暗殺少女描写の金字塔を打ち立てた作品だと言えるでしょう。現在は、第二部のAZUMIが連載中です。
『あずみ』第一巻で、主人公のあずみたちは「今まで仲良く一緒に修行してきた仲間を殺せ」という命令をうけます。忍者としての覚悟を試すため、またそこで生き残った覚悟のあるものだけを選び出すために。
その中を生き抜くことで、使命のために戦う少女あずみが誕生します。その後彼女は一瞬にして、刃で命を次々に奪っていく忍者となるのです。
その姿は美しくもあり、悲しくもあります。現在連載中の第二部『AZUMI』では、あずみは少女から女になりつつあり、苦悩の中生きていく様が描かれています。
 
 

この暗殺少女の在り方は、近藤るるるアリョーシャ!でも描かれます。東欧のソレシア連邦で、特殊部隊の殺し屋として育てられた少女アリョーシャ。クーデター失敗後、彼女は日本で普通の女子高生として生きることを命じられる……一見ギャグマンガのような作品で、笑えるシーンも多い作品です。
しかし内容はかなりシビアで、死と隣り合わせ。アリョーシャの絡んでいた政治の世界は混迷しており、彼女の命を狙う刺客が次々に現れて、彼女と(暗殺者として育てられた彼女にとっては初めてできた)友人達に襲いかかるのです。
アリョーシャは極限まで鍛え上げた暗殺の技術で、刺客を撃退していきます。特に見事なのは、表情一つ変えず、研ぎ澄まされた薄いナイフで何もかも切り裂く彼女の描写です。
学校生活のシーンは、人の生き死になんてまるで関係無いような明るい話として描かれます。しかし、その「平和な日々」は、彼女が影で人を殺し続けなければ守れないのです。
近藤るるるの絵は優しくあたたかい絵柄のため、逆に殺害シーンのインパクトは絶大です。アリョーシャを殺しに来た「コールティクNo.」で呼ばれる少女達は、冷静なアリョーシャですら一瞬気を抜いてしまうほど幼くかわいらしいので、殺害シーンのギャップが凄い。なかでも「コールティクNo.3」という少女は快楽殺人者で、殺すことで自分を実感するというキャラクター。そのためにアリョーシャを殺そうと付け狙います。
戦う少女は格好良い。しかしアリョーシャが感情を捨てて殺人機械に育て上げられ、大きな傷を負っても、顔色を変えず淡々と傷口を縫って戦いに赴く様は、軽い狂気を含んでいます。
コールティクNo.3も華麗に戦いその強さを見せつけますが、ナイフを突き立てられ捻り上げられるという、あまりにも痛々しく、しかし確実な方法で殺害されます。
殺すために生まれた少女達は、一線を超えた場所にいます。どんなに世界が優しくても、戦いの運命から逃れることはできません。この作品では、肉体の「死」が与える心の揺さぶりは、死んでいくものにも残されたものにも平等に与えられ、かえって「生」を激しく感じ取らせる出来事ではないか、と読者に語りかけます。任務を全うする者も快楽を欲する者も、本質的に純粋なのです。
 
 

暗殺少女の美学とセクシャリティを追求し、極めつけのものにしたのが、高橋慶太郎のデストロ246です。
今までもヨルムンガンドで武器商人の女性ココと、武器を憎みつつ戦う少年ヨナの姿を、作者は鮮烈に描いてきました。デビュー作Ordinary±では学園に雇われた殺し屋の少女、的場伊万里を描きあげました。
今回はその『Ordinary±』の続きにあたる形で、作者が好きなものを存分に詰め込んだ、サディスティック極まりない殺し屋の少女達の宴、少女殺戮活劇になりました。
とにかく出てくる6人の少女達が皆、バカみたいに強い。冷酷なキリングマシーンとして育てられた殺人召使の翠と藍。背が小さく冷静な殺し屋少女・伊万里。暴力団の組長の女子高生・苺と、護衛のナイフ使い・蓮華、怪力の南天。
揃いも揃って化物みたいな少女だらけです。男たちの存在なんて、彼女らが「強い殺し屋である」という演出のネタにすぎません。登場人物達は目的達成のための手段として暗殺しているはずなのですが、何より殺すことを楽しんでいるのです。
ここまで徹底していると「死ってなんなのか」はどうでもよくなってしまいます。彼女たちがどのくらいかっこいいか、その一点集中です。
同時に、戦闘少女がセクシャルな存在であることを高らかに描き綴ります。「かっこいいだろう?」 エロいだろう? それが戦う殺し屋の女の子なんだよ」という作者の声が聞こえてくるようです。
この作品において、かっこいいのは少女。エロティックなのは少女。最強なのは少女。それを超越するものは、今はまだありません。屈強な男たちや厳しい秩序を、軽々と乗り越えていきます。
残っているのは、殺し屋少女同士の殺し合いだけ。殺し合いという名前の、激しい求め合い。それはまるでセックスです。
 
 
・殺人が浮き彫りにする生命賛歌

地道な鍛錬のもと鍛えあげられ、宝石の結晶のように輝く肉体を手にしたものが、失われる。これもまた少年少女達が殺しあうマンガの一つの醍醐味。
現在デビルマンGを描いている高遠るいは、少女が内臓をまき散らして死んでいく様をエンタテイメントに昇華して描き出します。死の苦しみや恐怖、生きることへの執着を描きながら、殺し合い、死んでいくから、強烈な光を放ちます。
高遠の代表作のひとつシンシア・ザ・ミッションは特にその部分を意識的に描いたものです。この作品に登場するのは、暗殺術の使い手シンシアや百発百中の魔弾の使い手・久我阿頼耶、邪眼で相手を翻弄する紫水ほたるなど、ありとあらゆる技を試練の中で習得した少女達ばかりです。
久我阿頼耶はストリートファイト出身なので、他人を殺すことは全く本意ではないという、正々堂々と戦う美学を持ったキャラクターです。しかしスポーツ的な「格闘」「ケンカ」ではなく、あっちの世界の「殺し合い」を知る人間が集まった中では、それは遊戯でしかありません。そんな「あっちの世界」を描くのが『シンシア・ザ・ミッション』なのです。
 
特に一部のファンの間でカルト的な人気を誇るのが、ブリギット・マクラウドという少女。制服のような衣装にボブカットの、冷淡な手口で殺す国際テロリストです。彼女はヒロイン・シンシアの最大の敵である姉シベールの愛人でもあります。
彼女がファンたちから注目される理由は、壮絶な死に様を見せるからです。元々「シベールに腕をもぎ取られた」という過去があるのですが、もぎとられたところに超高機能義手をつけ、任務に忠誠を誓って戦います。彼女は、これ以上ない痛々しい殺され方をします。簡単に殺してあげた方がむしろまだマシ、というくらい痛々しい。彼女の悲劇は殺されても終わらず、その死体は特殊な術を施されてシンシア暗殺に利用され、シベールの愛すら受けることができない。もう心も体も何もかもめちゃくちゃです。
こんな、惨劇としか思えない物語に、人がなぜ惹かれるのか。これは非常に興味深い点です。
 
 
思春期の少年少女、特に殺す技術を身につけた少女は強く、美しい。ヒリヒリするように緊迫した、綱渡りを駆け抜けるような生命力にあふれています。
少年少女が殺しあう描写の裏には、その生命力に対する畏敬の念に近いものがあります。
キャラクターが殺し、殺される状態におかれ、その緊迫した中での一瞬を描くことで、生命力に対する畏敬の念が表現されます。逆説的ではありますが、殺し合いは生命賛歌でもあるのです。
 
 
『ストロボ』のように、思春期に感じていた悲しみや迷いや苦しみを、永遠のものとして封じ込めてしまう殺し合いの表現は、とても悲しく儚い、失われることを強調した表現です。
また『デストロ246』のように、肉食獣のような目で殺しあう少女達は、人間の躍動美を生かしたエロティックなエンタテイメントとして描写されます。
そして、限界の状態で戦うキャラクター達は、殺し合いのみを見つめているという点で等価値。全てをそぎ落とすことで、人間の生命力の輝きが描かれます。
正義のために戦うのか、使命のために戦うのか。生き残るために戦うのか、はたまた「戦うため」に戦うのか。
思春期の心のゆらぎは快楽と悲痛を伴い、自我を求めて殺し合いを続けていくのです。

 
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【たまごまごのプロフィール】
ライター。主にサブカルオタク系ムックや、
仕事のマナー「気がきかない」なんて言われるのは大問題ですっ!
などのビジネス書を手がける。
北海道在住。本に埋もれていてストーブが炊けません。
大の大槻ケンヂ好き。愛読書は「チャンピオン」と「LO」。
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