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現代人が対峙する決して解消しないドロドロした不安とは『液状不安』

現代社会で人々は、様々な不安に晒されて生きている。突然解雇されて収入を得ることができなくなったり、病気になったり事故にあったり、あるいは生きながらえて高齢になったときの生活保障など。そもそも自分が生活の基盤としているこの社会そのものの体制が、今後揺るがないとも限らない。
 
今回とりあげるジグムント・バウマン『液状不安は、こうした現代的な不安を扱ったもの。リキッド・モダニティという時代概念を提唱している、現代ドイツを代表する社会学者の1人だ。この「リキッド・モダニティ」という概念が意味するのは、近代という時代には固形化志向と液状化志向の2種類があり、現代とは、その液状化志向の近代のことである、という考え方。かつて「現代はポスト・モダンだ。近代は終わってしまった」という論調があったが、バウマンは「近代は終わっていない」と論じる。今回の『液状不安』は、このような「リキッド・モダン」の時代にある不安がどのようなものなのかを扱った1冊だ。
 

 
本書の原題は「Liquid Fear」であり、「液状恐怖」とも翻訳できたのだが、訳者は敢えて「不安」と訳したという。バウマンは、「不安」とは不確実性のことであり、それは「危険に身をさらされている」と不断に感じてしまうような精神的な枠組みだという。「世界は危険に満ち溢れていて、危険は前触れなく、いつ襲ってくるかわからない」「危険に対して自分が脆弱である」という認識を持つ現代的な人間は、本物の脅威が不在のときでも、自動化したように不安を抱き続ける
 
かつて世の中が固定的なものだと思われていた時には、脅威や危険といったものは、合理的な解決方法によって一挙に解消されるはずだった。しかし現代人は、決して解消しない不安と常に対峙し続けることを運命づけられている、とバウマンは言う。
 

病気や事故といった、予測不可能なリスクによって、「楽しげな群衆」のなかからはじき出され、流動的な社会の中で自分の身を自分で護らなければならないということ。
これらの、絶え間なく引き起こされる不安に対して、現代人は途方に暮れ、無力感をいだいてしまう。無力感に浸された現代人は、不安に晒され続ける中で、死や離婚といった、かつてであれば耐え難かった筈の「親密な関係の断絶」を反復し続ける「凡庸なもの」だと考えるようになる。
 
バウンマンは本書の最終章「不安に抗する思考」において、この対処が難しい現代的な不安に対して、知識人がどのように対応可能なのかを模索する。そこに明快な解答は提示されていないが、「人を無力化する不安に対する治療の、唯一の有望な開始点は、その正体を見ぬくこと、その根源にまで遡ること」だとバウマンは断言している。本書での分析はまだ不完全ではあるが、読者自身が身の回りの、そして自分自身が抱えているような、「不安」について考えるための良いヒントになっていると言えるだろう。
 

バウマンは、1920年代に、ポーランドの貧しいユダヤ人家庭で生まれ、第二次大戦中は家族とともにソビエトに逃亡し、当地の大学で教育を受けた。その後、ポーランドに戻り、ポーランド社会学協会の理事長まで上り詰めるが、ユダヤ人問題に関して1960年代にワルシャワ大学の教授職を追われ、その後は国際的に活躍。イスラエル、カナダ、アメリカ、オーストラリアを経て、現在はイギリスを中心に活動している。主な著書に、『リキッド・モダニティ』の他に、リキッド・ライフ―現代における生の諸相』『廃棄された生―モダニティとその追放者』『コミュニティ 安全と自由の戦場など多数。
 

    

 
バウマンのように現代を「ポスト・モダン」と呼ばずに近代(モダン)の新しい段階だと捉えるのは、イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズ)や、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックが唱えている「再帰的近代化」と共通するところがある。ギデンズとベックは、一般的に言われる「近代化」を、「自然と伝統を近代化すること」と定義し、この単純な近代化によって「近代化社会」が到来したと述べる。この単純な「近代化社会」が到来し、自然や伝統が近代化され尽くし、「近代化社会」そのものが今度は近代化の対象として現れてくる。この段階が「再帰的近代化」だ、というのがギデンズとベックの考え方だ。(「社会そのものが近代化の対象になる」という再帰的な考え方は、入れ子状になっているために、少しわかりづらいが、今回はバウマンの紹介がメインなので、ここでは深入りしない)

 
バウマンは冒頭に書いたとおり、「近代」を固定的な近代(ソリッド・モダン)、液状的な近代(リキッド・モダン)と呼んだ。ギデンズやベックによる「単純な近代化」にだいたい該当する「固定的な近代」では、人は「豊かさ」やユートピア的なものを目指して結束しようとし、人々の立場も固定的なものになっていた。対して、現代では人々は単純に「豊かさ」やユートピア的なものを信じることができない。そのような状況では、社会は目指すべき固定的な目標を持たず、その中に生きる人々も流動性を求められる。「フレキシブル」に生きることが求められるのだ。
このあたりは、フランスの哲学者ジャック・デリダの弟子で、「フレキシビリティ(融通性・柔軟性)」に対して「プラスティシティ(可塑性)」を対置した哲学者カトリーヌ・マラブーの私たちの脳をどうするかにも関連して論じることが出来るだろう。

 
なお、バウマンは1990年代に「ポストモダニティ」についての著作を複数刊行しているという(邦訳がほとんどまだされていないため、日本ではあまり知られていない、と「訳者あとがき」に書かれている)。その「ポストモダニティ」についての思考のさきに、グローバリゼーションや情報ネットワーク化、これにともなう急激に進行した社会の流動化、そして社会的格差の拡大といった問題を踏まえて登場したのが「リキッド・モダニティ」の思想である。
 
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【本が好き!編集部ナガタのプロフィール】
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アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は板橋区在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職・結婚・離婚など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。
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