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さあ恐れず『屍者の帝国』の旅へ!存分に楽しむ為のスターターキット

日本SFここ最大の話題といえば、早逝の天才こと伊藤計劃の遺稿を、同時期にデビューし芥川賞作家にまでなった盟友の円城塔が引き継いで完成させた屍者の帝国が刊行されたことだろう。
 
「もしもフランケンシュタインの技術が19世紀に普及していたら?」という設定のもと、激動の19世紀の世界を舞台に各国の秘密結社が人類の命運を賭けて争う、という筋書きの本書。SFファンなら既に手にとっていると思うが、もっと多くの読者に読んでもらいたい快作だ。
 
しかし虐殺器官ハーモニーで伊藤計劃を知っていても、道化師の蝶で円城塔を知っていても、なんかちょっと大作すぎて本書に手を出すのを躊躇してしまっている読者が多いのではないだろうか。
たしかに『屍者の帝国』は大作だ。SF史にのこる金字塔だと言って良い。一読して本書の面白さを汲み尽くすことは不可能に近い。「名作は何度読んでも面白い」とはよく聞く話だが、それでも最初から読んで楽しめるのが一番だろう。
 
今回は「スターターキット」として、『屍者の帝国』を読むにあたって知っておきたい知識をコンパクトにまとめて紹介する。この大作を読むのに躊躇している人も、既に読んでしまった人にも、『屍者の帝国』を楽しむための3つのテーマから、豆知識や見取り図を提供してみたい。
 

 
■■第1のテーマ■■
「屍者」
本書のタイトルにもある「屍者」とは、作中ではフランケンシュタイン博士の理論をもとにした技術によって蘇らされた死者たちを指す。
フランケンシュタインに限らず、「死者の再生」というテーマは、キリスト教の根幹に関わる「イエスの復活」、吸血鬼伝説、現代また流行してきている「ゾンビ」にも共通する。
また、魂の問題は現代の哲学でも「どこからを人間と見做すか」という人権思想の重要な課題として議論され続けている。このモチーフは、創世記において神がアダムを土塊から生み出したということ、またユダヤ教の伝説にあるゴーレムや、ギリシャ神話に登場するピュグマリオン、デカルトが愛したといわれる機会人形、そして現代社会でも重要な「労働力」となっているロボットたちに共通する。
「屍者」というキーワードが強力なのは、この「死者の復活」と「魂の問題」を組み合わせることで、人権の極限におかれた社会的弱者が、どのように労働し生きていくべきなのか、という現実の問題のすぐれたメタファーになるからだ。
この場合の社会的弱者とは、男性中心社会で周辺に追いやられる「女子供」、民族主義で差別の対象になる「異民族」、身体障害者や高齢者、病人や狂人とみなされる人々のことだ。
 
 
■■第2のテーマ■■
「伊藤計劃と円城塔」

本書の著者は、「伊藤計劃×円城塔」と書かれている。
前述のとおり、本書は死の床にあった伊藤が書き遺したプロットを元に、友人だった円城が完成させたものだ。2人の友情を思えばいわゆる美談なのだが、この組合せにはそれ以上の意味がある。
本書の物語で、主人公たちは、最初の屍者を生み出したフランケンシュタイン博士が遺した文書を追い求めて世界を旅することになっている。旅を続けながら主人公は、その文書に何が書かれているのかを常に推理せざるを得ない。
この「死んでしまった人間の書き遺した文書の内容を推理する」という行為は、作中で主人公による行為だというだけではなく、伊藤計劃自身が生前に構想していた物語を絶えず意識しながら本書を書き綴らなければならなかった円城の行為でもあったと言えるだろう。
 
円城が作中で次のように書くとき、このことを思い出す読者は、どのように考えればいいのだろうか。
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人間の理解の仕方の問題なんだ。人間は物事を物語として理解する。暗号が具体的にどんなに強引な方法で解かれたかは問題じゃない。誰が問いたことにした方が面白いか、書かれているとされる内容がいかに刺激的かが重要なんだ。
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■■第3のテーマ■■
「19世紀の世界」

そして本書の最大の魅力は、なんといっても主人公ワトソンらの一行がロンドンを始め、インド・アフガニスタン・日本・アメリカ、と世界中を旅して回るところにある。伊藤計劃の『虐殺器官』も『ハーモニー』もそういう魅力を持った作品だった。
ワトソンは世界を旅しながら、様々な人物に出会う。円城は、文学史上の名作や、実際の歴史から、無数の人名をピックアップして物語のなかに周到に配置している。結果として、この物語は虚実織り交ぜた「19世紀の世界」を活写したものになった。
 
下記に、それぞれの国ごとにキーワードを挙げ、元ネタとなる作品や、史実の事件を簡単に解説していこう。
 
<ロンドン>
ワトソン
19世紀にコナン・ドイルによって執筆され、以後世界的な名作となった推理小説シリーズ「シャーロック・ホームズ」に登場する名脇役。
『屍者の帝国』に登場するのは、ホームズと知り合う前の医学部生時代のワトソンだ。本家「シャーロック・ホームズ」シリーズに登場するワトソンは「アフガニスタンに軍医として赴任した経験を持つ開業医」であり、この設定も『屍者の帝国』に活かされている。
 
ヴァン・ヘルシング、ジャック・セワード
医学部生ワトソンが出席する講義に登場するこの2名の元ネタも、やはり19世紀にイギリスで発表され世界的な古典となった恐怖小説『ドラキュラ』の登場人物。
セワードとその師匠であるヘルシング教授は、『ドラキュラ』でバンパイアハンターとして有名だ(日本でも、漫画『ヘルシング』が描かれている)。
吸血鬼として知られるドラキュラは、「生ける死者」という『屍者の帝国』のテーマと深く結びついている。
 
M、ユニヴァーサル貿易
ワトソンが、ヘルシングとセワードに連れられて引き合わされることになる人物「M」。
頭文字しか名乗らないこの人物は、シャーロック・ホームズの兄マイクロフト・ホームズと思われる。
スパイ小説・映画シリーズ『007』に登場するイギリス情報局秘密情報部(MI6)の部長「M」も元ネタだ。
「ユニヴァーサル貿易」も『007』でMI6が偽装に使う名称。
 
<インド>
フライデー
イギリスの小説『ロビンソン・クルーソー漂流記』に登場するキャラクターが元ネタか。
ロビンソンが漂着した無人島には、ときどき近隣の島から原住民が上陸してくる。その原住民たちは食人の風習があり、その犠牲となるところをロビンソンが助けだし、「フライデー」と名付けて従僕とする人物が登場する。
「忠実な部下」として「man Friday」という表現が定着しているほど、『ロビンソン漂流記』におけるフライデーの従順な性格は知られている。
ちなみにロビンソンは、実在のアレキサンダー・セルカークという実在の人物がモデルになっている。
フライデーにはもうひとつ元ネタらしいキャラクターがいる。
1908年に発表された、チェスタトン『木曜の男』あるいは『木曜日だった男』に登場する「金曜」だ。
無政府主義を標榜する秘密結社の会議に潜入することになった刑事が出会う、6人の幹部のうちの一人である。
 
インド副王リットン
アフガニスタンに向かうワトソンを迎えるリットンは、英国領インドを女王に代わって統治する「副王」という地位にある。
彼は実在の人物で、太平洋戦争の発端となる満州事変の際に国際連盟が派遣した「リットン調査団」の団長リットンの実父にあたる。
 
ピンカートン、ユリシーズ・グラント
「ピンカートン」は19世紀に創設された私立探偵社・警備会社。民間軍事会社(PMC)とも言える規模にまで発達した時期があった。
なおPMCは伊藤計劃が必ずと言っていいほど作品に登場させるモチーフ。
ユリシーズ・グラントも、実在の第18代アメリカ合衆国大統領。世界一周旅行で日本にも立ち寄り、明治天皇と会見している。
 
バーナビー
日本ではほとんど知られていない実在の人物。
本書に登場するバーナビーと同様、かなり豪快な人物だったようだ。
アニメファンにはお馴染みの「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」を捩ったセリフを話したりするあたり、円城はかなり自由にこのキャラクターを使っている。
 
<アフガニスタン>
19世紀末のアフガニスタンは、本書に描かれているとおり、大英帝国とロシア帝国の覇権争いの主戦場のひとつとなっていた。
屍爆弾
作中ではほとんど言及されていないが、現代でも有効なテロ手段となっている「自爆テロ」を想起させる。
 
クリミアの亡霊
「シャーロック・ホームズ」シリーズは原作者であるコナン・ドイルにとどまらず、世界観を共有する他の作家たちによって今も書き継がれている。
M・J・トローによる『クリミアの亡霊』も同様だ。この作品には実在の著名人が多数登場する点で『屍者の帝国』に共通している。
なお、「亡霊」を意味する「スペクター」は『007』に登場する悪の組織の名前でもある。
 
カラマーゾフ、クラソートキン
いわずもがな、文豪ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』の登場人物。
『カラマーゾフの兄弟』も19世紀に発表された小説。推理小説としての側面もある。
もともと3部構成として構想されていたが、作者の死によってそれは果たされることはなかった。
なお、日本人作家による独自の続編カラマーゾフの妹が最近話題になったのも記憶にあたらしい。
 
<日本>
寺島宗則
実在の人物。開国直後の日本において、諸外国との対応のために日本中央政府との連絡を密に行う必要から、電気通信の重要性を認識。横浜-東京間の電信線架設工事に着手し、のちに「日本の電信通信の父」と呼ばれることになる。
 
大里化学
『007は二度死ぬ』に登場する日本の企業。
なお、秘密結社スペクターの下請けとしてFacebookページが開設されている
 
<アメリカ>
レット・バトラー
19世紀のアメリカ南北戦争を主要な舞台にした風と共に去りぬに登場する人物が元ネタ。
『風と共に去りぬ』では、ヒロインであるスカーレット・オハラの恋愛の相手として準主役級の役割を担っている。
なお、映画版『風と共に去りぬ』でスカーレットを演じたヴィヴィアン・リーはインド出身のイギリス人女優。圧倒的な美貌で知られる。19世紀のロシアを舞台にした、トルストイ原作の『アンナ・カレニナ』でもヒロインを演じた。
スカーレット・オハラは『風と共に去りぬ』では強烈な美貌と数学の才を持つ人物という設定だが、『屍者の帝国』でバトラーとともに登場する女性はハダリーと名乗る。
この女性については色々と書きたいのだけれど、重大なネタバレになってしまうので触れずにおこう。
 
ウィリアム・シュワード・バロウズ
実在の人物。『裸のランチ』などの小説で知られる作家WSバロウズ2世の祖父で発明家。
現代に実在する国際的なIT企業「ユニシス」の前身となる「バロース」を設立した人物。
なお孫のバロウズ2世は、「言語はウィルスだ」という独特の思想を持ち、小説家として言語の支配から逃れる方策を試み続けた。
(山形浩生氏から誤りの指摘があったので修正しました)
 
 
 
【関連書籍など】


 
【関連ページ】

屍者の帝国 用語集 目次 – 妄想科學倶楽部

当記事でも参考にさせていただいた。圧倒的な情報量で驚愕する。
 

円城塔インタビュー詳報:故・伊藤計劃との共著「屍者の帝国」を完成させて- 毎日jp(毎日新聞)

死者が動いてる話じゃなければ、やらなかったという発言があり、見事な連携プレーが成立していることが明らかにされている。
 

屍者の帝国 伊藤計劃×円城塔 | 河出書房新社

公式特設サイト。生前の伊藤計劃自身のブログの関連エントリへのリンクなどがあり、とても参考になる。
 

読書メーター – EnJoeTohさんの読み終わった本

膨大な過去作品への言及がされている『屍者の帝国』。その執筆のあいだ、作者である円城塔自身が「何を読んでいたのか」を追うことができる。
 

少しマニア向け『屍者の帝国』スターターキット2 nagata_nさんの 本棚 |ROOK


「もう少しだけマニアックなスターターキット」を用意しました。
参考文献をもっと集めたい!という人にお薦め。
 
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【本が好き!編集部ナガタのプロフィール】
当「BOOKニュース」を担当している’79年生まれ男性。
アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は板橋区在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職・結婚・離婚など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。
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コメント

  1. >『裸のランチ』などの小説で知られる作家WSバロウズ2世の父で発明家

    祖父です。

  2. >山形浩生様
    コメントありがとうございます。いつもブログ拝見しております!
    ご指摘いただいた箇所、修正させていただきました。

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