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バンドデシネ界の巨匠にして魔術師、ニコラ・ド・クレシー最新作!

「ニコラ・ド・クレシー」という名前を目にして、それが人名だということにすぐ気づく人は少ないだろう。日本・アメリカと並ぶ巨大なコミック文化をもつフランスのBD(バンド・デシネ)の世界で、魔術師とも呼ばれる実力を持った若き巨匠の一人。しかしバンド・デシネをよく知らないような人に向かって彼がその世界の巨匠だといったところで、たいして印象には残らないだろう。「へー」というリアクションが想像される。
 
そのニコラ・ド・クレシーの邦訳最新作が刊行された。タイトルはサルヴァトール。主人公の一人の名前だ。サルヴァトールは、ちょっと偏屈だが見た目はかわいらしい犬のキャラクターで、天才的な自動車修理技師でもある。その彼が、幼い頃に好きだった子を追って南米に向かって旅にでる、というのが本書の筋書き。この本はいわゆるコミックス売り場に置くよりも、絵本売り場とか、文芸書とか、画集のコーナーに置いたほうが良さそうな気がする。絵が可愛らしく、全ページが彩色されていて美しい。
※装幀を担当したナルティスの紹介ページで、細部まで意匠を凝らした本書のデザインを垣間見ることができる。
 

 
ニコラ・ド・クレシーの作品は、単行本化されたものだと天空のビバンドム氷河期がある。『氷河期』はルーヴル美術館から嘱託された作品(詳細は後述)のまえがきで、彼は「自分は19世紀から20世紀の美術に興味がある」と語っている。
今回の『サルヴァトール』についても、最新の濃厚な紹介文があがっているので、ぜひ読んでもらいたい。
 
ニコラ・ド・クレシーは、『氷河期』でルーヴル美術館の収蔵品の素晴らしい模写を披露しており、その画力の高さは驚異的なものがある。その超絶技巧をもって彼が描こうとしているのは何か、というところが問題だろう。今までの作品を見ても、彼がアザラシや太った犬、豚のような、不恰好な動物の愛らしさに強く惹かれていることは間違いない。ぶよぶよとした皮と肉に覆われ、目は小さく、不遜なようでありながらどこか小心なところのある、これらの不恰好な動物の佇まいが、愛情を込めて描かれている。主人公のサルヴァトールはチーズ・フォンデュが大好物で、食べるたびに伸びたチーズに絡まって苦闘を繰り広げるのだが、そのさまの可愛らしさといったらたまらないものがある。
 
キャラクター描写の可愛らしさ、絵の美しさを十分堪能したら、登場人物たちの交わすやりとりの妙を楽しんでもらいたい。
たとえば、主人公のサルヴァトールは偏屈なキャラクターとして描かれている。彼の「ペット」になっている小人に対して、いつも偉そうに名言のようなものを引用してみせるのだが、これがだいたい誤っている。名言の誤った引用というのはどうしてこうも可笑しいのだろう。
サルヴァトールはジュリーが南米で彼を待っていると勝手に思い込んでいるのだが、その確証はない。ただ彼女の愛情に対する一方的な信念があるだけだ。そして、彼には強い妄想癖があることがたびたび描写されているのだが…この物語の結末は如何に。
本作は未完なので、結末までは描かれてはいない。彼の人生を賭けた妄想が成就するのかしないのか、非常に気になる。
 
前述のとおり、ニコラ・ド・クレシーには既に邦訳されて単行本化された作品が2つある。
ひとつは既に触れた『氷河期』。

 
氷河期といっても、太古の昔にあった氷河期ではなくて、人類の未来に待ち構えている氷河期だ。遠い未来、温暖化の時代すら超えて、地球は再び氷河期を迎える。人類は衰退し、氷に閉ざされた無人のパリを、とある調査隊が通りがかるところから物語は始まる。
その調査隊の前に、突如としてルーヴル美術館が現れる。エジプトの遺物から、パリの歴史的遺産、そして革命を描いたドラクロワの絵画に至るまで、人類史の博物館のような膨大な収蔵品を誇るルーヴル美術館。しかし、「芸術」が滅んでしまうほどに衰退しきったこの時代の人類は、ルーヴル美術館のことをまったく知らない。
完全に遺跡として発見されたこの美術館の収蔵物を前に、調査隊が試みる解釈が面白い。ちなみにこの作品でも丸々と太った犬が重要な役割を果たす。
 
もうひとつの作品が『天空のビバンドム』。

 
ニコラ・ド・クレシーが「魔術師」の異名をとるのが納得できる奇妙な作品。水彩からカラーインク、アクリル、クレパス、そしてコラージュと、ありとあらゆる技法が投入され、重厚な世界観を作り出している。
本作も、ピュアでいわば考えなしのアザラシが登場し、愛嬌を振りまく。その彼をとりまく様々な人物たちが織りなす複雑な陰謀に巻き込まれていく。たとえば変な映画が好きな人にはぜひともオススメしたい。
刊行時に公開された日本人向けの紹介サイトが内容充実で見応えたっぷりなので是非みてもらいたい。
 
なお、『サルヴァトール』と『氷河期』の翻訳を手がけたのは大西愛子氏。バンド・デシネを代表する巨匠のひとりであるエンキ・ビラルのライフワーク『MONSTAR』完全版や、先日紹介した超美麗な『ムチャチョ』の翻訳も担当。
今回の『サルヴァトール』の刊行に際して、軽妙なレビューがネットで読めるのでぜひ読んで欲しい。

  

 
そして『天空のビバンドム』の翻訳を手がけた原正人氏は、「バンド・デシネ界の巨匠」フランソワ・スクイテンの大作『闇の国々』の翻訳を担当した人。原氏には、『闇の国々』刊行時にインタビューした記事があるので、そちらもぜひ読んでもらいたい。
また、近日発売の『メタ・バロンの一族』も原正人氏が翻訳を担当。名作の名高い『アンカル』のスピンオフシリーズの邦訳だ。

  

原正人氏のWeb連載なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったかでは、「超絶技巧のアート漫画、ニコラ・ド・クレシーを読むっ!」前編後編でニコラ・ド・クレシーの魅力を語りまくっている。
今回の『サルヴァトール』の刊行に際して、原氏の詳細なレビューもネットで読めるのでぜひ読んで欲しい。
 
今日の記事、やたらと「巨匠」を連発しているように思われるかも知れないが、日本にも手塚治虫をはじめ、楳図かずおや藤子不二雄、水木しげる、赤塚不二夫など、たくさんの巨匠がいる。それだけ文化が成熟しているということなのだ。しょうじき、日本のように独自の言語圏内で確立されたマンガ文化があるところに、まったく異なる言語圏のマンガ文化を輸入するのは容易なことではないだろう。
僕も友人に海外コミックを布教しているのだが、日本の漫画と同じように読もうとするとどうしても違和感が出てきてしまう。冒頭にも書いたように、文芸、あるいは画集のようなもの、もしくは超高度な絵本だと思ってページをめくってもらいたい。翻訳小説や映画などでは得られない驚きを約束する。
 
なお、7月には、昨年休刊したヨーロッパのマンガを日本に紹介する雑誌『ユーロマンガ』が復活するという情報もある。『ダークナイト・ライジング』『アベンジャーズ』『アメイジング・スパイダーマン』など、アメリカンコミック勢が映画で強襲をかけてくるこの夏(これはこれで別に記事を書く予定)、ヨーロッパマンガも負けていない。正直、映画も見てマンガも買って、当然日本のマンガも買いまくるとなると財布の中身が非常に心配だ!財布が軽くなっても、ココロが満たされればそれでいいじゃないか!果敢に買いますよ僕は!
 
追記:日本の漫画ファンには、弐瓶勉『シドニアの騎士』の最新刊と、水城せとな『脳内ポイズンベリー』の最新刊も7月に刊行予定だということをお知らせしておこう。ヤバいね。
※シドニアの騎士の既刊最新刊と、水城せとなの代表作『失念ショコラティエ』の既刊最新刊についての紹介記事は下記に掲載。

日本が誇る異想世界のクリエイター・弐瓶勉『シドニアの騎士』

恋に怯えた心をフッと緩ませる、甘く美しい逸品『失恋ショコラティエ』

 
【関連書籍など】


 

  
 
 
 
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【本が好き!編集部ナガタのプロフィール】
当「BOOKニュース」を担当している’79年生まれ男性。
アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は板橋区在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職・結婚・離婚など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。
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コメント

  1. うわ~これ,すごく面白そうです。早速カーリルで調べてみましたが,いつも利用する図書館にはありません。
    ちょっとお財布が傷みそうではありますが,まずは『氷河期』から,ポチッと買っちゃおうかなあ。

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