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あなたは「美」を病んでいませんか?『美と深層心理学』

最近刊行された書籍の中でひときわ目を引く美と深層心理学。本書は、1983年カナダ生まれの研究者で心理士の東畑開人氏による著書。東畑氏の研究分野は力動的心理療法学・臨床心理学・医療人類学、とのこと。
 
本書では、「美を病む」という独特の表現が使われている。「美を病む」とは何か。
「美を病んだ人」とはたとえば、究極の美を求めるがあまりに日常を死んだようにしか生きられない人、自らの姿に醜さしか見出せず他者と関わることができない人、莫大な借金を作ってでも美しい洋服を買い続ける人、些細な汚れも許せない人、自らを汚物のように感じる人たちのことだ。
「美を病む」とは、著者の表現を借りれば「美しさや醜さによって不幸になっていること」である。
「美を病んだ人」たちを著者は、「私たちの戯画だ」と語る。
 

 
本書は、精神分析の開祖であるフロイトが、芸術や創造性について論じていながら「美」についての探求を避けていたということに注目し、彼に多くを負う深層心理学全体が、そもそも美という現象を捉えることに本質的な困難を抱えているのではないかと指摘する。
本書は、現代美術の主要なコレクターに精神科医が名を連ねていること、また精神科医がしばしば美術評論を書くことなどを思い起こせば、きわめて興味深い試みだと言えるだろう。
 
まず著者は、三歳児頃の幼児が、「私」と他者を分化させて「自分も人間だが、他人の中の一人である」ということを強く自覚する点に注目する。
この時期、子供は、それまで快いものを「きれい」と言っていた程度の「美」の認識に加えて、「周りの人たちが美しいと言っているもの」としての「美」の認識を持つようになる。
いわゆる「ステレオタイプとしての美」を受け入れ、その「周りの人たち」つまり「共同体」の価値体系に即した「美」の捉え方ができるようになるのだ。
 
次に著者が注目するのは、J・クリステヴァが提唱した「アブジェクシオン(おぞましさ)」、そして醜いものに対して思わず「目を背けてしまう」という行為である。醜いものの性質である「醜」は、「美の否定」として定義される。「醜」は、「美」を前提として、それと相対することによってのみ実現される現象とされている。醜の美学を著したローゼンクランツによると、「醜」は「形の定まらないもの」「歪曲もしくは歪み」という、「かたちの逸脱」である。つまり、ローゼンクランツにとっては「美」とは「かたち」であり、「醜」はその「かたち」の否定なのだ。

  

 

なお、「かたち」とは、流体力学的にいえば、諸々の力が均衡しているところに成立するものである(心理療法で用いられる有名なロールシャッハテストでは、インクの浸透性・紙の抵抗・重力・空気圧・気温など、様々な要因の結果として「かたち」が現れてくる)。そして「醜」は、その力学的均衡体が崩れ、安定していたはずの力が無秩序に奔流しはじめることを意味する。「醜」を著す古語「シコ」には「怪異な力」という意味があるが、「醜」の体験における耐え難い不快感は、「かたち」が否定されることによって流れだした無秩序な力が、外的な形態の問題、そして内的な認知の問題として経験されている、と本書は語る。
 
人は、自分の身体を意識するときに、他者からのまなざしを意識している。いわば「他者に見られることによって自分の身体は意識される」のだ。このとき、「自分の眼差し」と「他者の眼差し」とは同一化されている。このような身体像にとらわれてしまうとき、人は何を眺めても自己に辿りつくことになってしまい、主体性は他者に乗っ取られてしまう。著者はこの状態を「閉じられた鏡の空間」と呼ぶ。この閉じられた鏡の空間に囚われてしまうことこそ、「美を病む」ということではないだろうか。
この「閉じられた鏡の空間」のような身体に、生涯を通じてこだわっていた作家が三島由紀夫である。

 
本書で著者は、三島由紀夫の身体論について詳しく分析している。美術評論家で「皮膚論」を展開したことで知られる谷川渥氏の論考をたびたび参照しながら、著者は、外面ではなく内面、深みにこそ真理がある、とする思考を批判し、外面にそのまま真理が現れているという理論を紹介する。「感性的なもののレヴェルにしか、生の意味はない」というのだ。「深層心理学」においては、表面にある皮膚の層、つまり表層、つまり外面の美が扱われてこなかった。本書が徹底して「見られる身体」、心理の表層に感心を払うのは重要だと思われる。

  

 
また、著者がカウンセラーとして赴任した学校で出会った不登校の少年と過ごした時間の話は興味深かった。ほとんど話さない少年に対して、著者は苛立つわけでもなく、いっしょに窓の外の風景を眺めていたという。季節とともに風景は少しずつ変わっていき、やがて著者の任期が終わることになり、2人は離別する。それだけのことなのだが、そこには美しい風景を2人でともに眺めるという重要な時間が流れていたのだろう。
 
パーソナル・メディアが発達し、twitterやUstreamなどで、多くの人が気楽に自らの「プライヴェート」を公共に晒すことができるようになり、コミュニケーションが加速している現在、本書で著者が述べている「心理の表層」の問題はいよいよ重要性を増していくだろう。本書は残念ながら明快な骨子がなく散漫な印象を受ける内容であったが、それでも非常に興味深いヒントが大量に書き留められていたと思う。
 
【関連書籍など】


 
目次
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まえがき 美を病むこと
 
序論 心理療法における美の問題
1 定義の確認 
心理療法の定義 美の定義
2 美学の問い、心理療法の問い 
美学の問い 古代ギリシアから中世までの美学 近代以降の美学 心理療法の問い
3 心理療法における美の研究
芸術の心理療法的研究 芸術の研究における美の欠如 美に焦点づけた研究
4 問題提起、フロイトのためらい
5 本書の問い 心理療法の認識論における美の困難
6 方法と本書の構成
 
第I部 美と心理療法
1章 「偽の美」考
1 芸術療法と美
2 心理療法と美の背反性
3 偽の美
4 美の比較課題
5 三歳児の飛躍
6 二者関係から三者関係へ
7 超自我と自我理想
8 コモンセンスの方へ カントの無人島 
9 ふたたび、「偽の美」
10 まとめ
 
2章 醜から目を背ける
1 醜のモーメント
2 いくつかの先行研究と本章の問い
3 「アンナ・O嬢」と”みじめなブロイアーの神話”
4 「見難さ」から「目を背ける」
5 醜と「かたち」
6 モルフェーと「見つめ」
7 人間を見つめて
8 感傷的な態度
9 まとめ
 
3章 ともに眺めること
1 関係を繋ぐ美
2 風景と自然
3 抵抗・象徴・私
4 少年と窓の外 ある事例
5 ともに眺めることと外界
6 美のはかなさと意味
7 まとめ
 
4章 玩具の存在論
1 環境設定と美
2 仕掛けとしての玩具
3 空白のスクリーン 表現の視点
4 玩具は「遊び」についてくる
5 イメージの戯れ 「遊び」の視点
6 玩具の条件
7 美とモノの主体性
8 玩具の存在論
9 まとめ フロイトの診察室
 
第I部 美と心理療法 跋
 
第II部 美のパーソナリティー
5章 美的身体と他者
1 身体の美的次元
2 先行研究
3 美的身体における他者の諸相
まなざしとしての他者 他者からの拒絶の不安 基準としての他者 外部性としての他者 臨床群と一般群の分水嶺
4 まとめ 鏡と他者
 
6章 皮膚的な自己
1 美的身体と自己
2 三島由紀夫・柏木・船木収
3 林檎の自意識
4 他者の反応 共感不全
5 Beauty is only skin deep
6 皮膚的な自己
7 まとめ
 
7章 唯美家と自己愛、死と表面
1 美によって生きること
2 唯美家と自己愛
3 自己愛的に考えられた自己愛
4 『金閣寺』という物語
5 疎外・ガラス・表面
6 死者との関係
7 美と関係
8 まとめ
 
第II部 美のパーソナリティー 跋
 
第III部 美の認識論
8章 美と深層心理学
1 まなざしと夢
2 芸術の研究に見られる美の位置づけ
3 二重写しのまなざし
4 美的体験と乳幼児の姿 対象関係論
5 美・表面・主体性
6 まとめ 心理療法における美の問題
 
9章 表面をめぐる力動 葛藤の美的解決について
1 日本の心理療法
ローカルな視点 河合隼雄の美学 葛藤の美的解決 表面をめぐる力動
2 ある臨床事例
事例の概要(クライエントの語りのまとめ) 第一期「洞察・風景・沈黙」 第二期「箱庭と夢の語り」 第三期「性の変容」 第四紀「別離と論文 出生の反復」
3表 表面をめぐる力動
洞察的なありようと美的なありよう ケガレ・性・精神病 表面の障害 清めのプロセスと転移 美的な次元の葛藤
4 まとめ
 
第III部 美の認識論 跋
 
結論 美の問題系
1 外部性と表面性 本書のまとめ
2 美と表面の問題系
3 今後の課題
4 最後に 心理療法の知とは何か?
 
あとがき
初出一覧
参考文献
索引
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【本が好き!編集部ナガタのプロフィール】
当「BOOKニュース」を担当している’79年生まれ男性。
アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は板橋区在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職・結婚・離婚など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。
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